2011年01月11日

知る、ということ。

梦月です。
ちょっと今日、はっとした言葉を知ったのでご紹介。

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君たちだってガンになることがある。
ガンになって、治療法がなくて、
あと半年の命だよと言われることがある。

そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう。
では桜が変わったのか。そうではない。
それは自分が変わったということに過ぎない。


「知る」というのはそういうことなのだ。


養老孟司(解剖学者)
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これって、ちょっと役作りにも通じるかも。


舞台をやっていて、役作りで煮詰まって、
そこを抜けて「役の私」と対面したときに
実感する感覚を言葉にすると、こういうことだと思う。


舞台上の架空の「役」に肉迫していって、
「その人の目線」で「その人の歴史」の中に一緒立てた時
(そこまでが、そりゃもう血反吐の道なわけだけど ((-_-;)
「その人」の五感に重なって回りの人や物を見回せた時に
今までお稽古で喋っていた言葉や行動が全然違って見える時がある。


ていねいに、ていねいに、糸を編んで布を作るように
彼女を「知って」いって、感じていって、
役者である私は冷静なイタコになって(笑)
同じ桜を「明里」の目で見たい、と思います。


私の目ではなく、明里の目で。


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ところで…ヴィッちゃんが観念した(笑)ので
私も腹をくくりまして、NY公演のみトライした、
幻のシーン再現と相成りました。

4月公演の<誠ver.>のみですが、どうか失敗しませんように!(笑)


感情とか知識とか思想とか、そういうのに憑依するのはともかく
肉体的なコントロールはホントに困るのよっ!

……ガンバリマス。

posted by さくらさくらカンパニー  at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 2011 さくらのごとく
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